変化を嫌がるのは正しいのか

ブログタイトルかっこいい!!!!(唐突)

前回のブログから1日経ってないけど折角の機会なので今回は暫く前から書きたいなって思ってた事をちょくちょく連ねていきます。

ちなみに今は夜中の3時なので話があっちこっち飛んでるのは勘弁してくだせぇ……勘弁してくだせぇ……

 

ある人は言いました。

「嵐は変わってしまった」

と。

またある人は言いました。

「あの頃の嵐はいない」

と。

皆さんはここで疑問がわきませんか?

まぁわかなくてもわいたつもりでいてください!!!!!

疑問というのは、変わる事はいけない事なのか、過去とは違う自分になるのはダメなのかということ。

 

人は一日で変わることがあれば10年経っても変わらない事もあります。

例えば、国語で作者の気持ちを答える問題。答えは何通りもあり、問題を解く毎に答えは変化しますよね。これが前者。

数学のワークに書かれている問題はよっぽどすごい発見でもされない限り答えはブレませんよね。これが後者。

後者はきっと自分の中での哲学やこだわりが当てはまるでしょう。

問題は前者です。

自分の中での答えをコロコロ変えるなんて、と思うかもしれませんが、沢山の世界を知って、自分の考えは世間に合っていないと考えたからこそ主張は変化していくのです。

私個人は、変化は悪ではなく軌道修正、つまりプラスの意味を持つものだと考えています。

 

「それでも私はあの頃の考え方が好きだった」

という方も多いでしょう。

それも正しいことです。

その人の考えが段々と変わっていく中で、貴方は丁度その瞬間に自分の心を動かす何かを見つけ、好きになった。

極論を言ってしまえば、好きだと思った時が気持ちのピークなのではないか、とも思っています。

ただそこからその人を理解して共感できる場所を増やしていくか、変わっていく姿をただ眺めているだけかの違いでまた好きのベクトルも変わってきます、ヲタクと呼ばれる人たちはおそらく好きな人を理解したいと考える人が多いのでしょう。

 

しかし、理解しようとしてもどうしてもわからないこともあります。

それは時間が進むにつれて増えていくのが自然です。

赤の他人なのだから相手の全てを理解できないのは当たり前。

そして、もうついていけないと考えた人から順に離脱していく。

ファンとアイドルの関係って元々そういうものではないのでしょうか。

 

それが何を思ったか、アイドルに変化を求めずに、少しでも変わってしまったら揚げ足を取り叩く。

静かに離れていくという選択肢を持たない人が増えた結果、今のように愚痴を言い自分の意見を押し付ける行為が横行するようになったんだろうなと考えています。

 

変わる事を嫌がる人は精神的に幼い人が多い。

だって自らが変化していないのだから。

結局そこなんですよね。

大人になりきれてない、少しも割り切ることができない人が文句を言う。

そう考えると「嵐は変わってしまった」と言って愚痴を言いまくる人の相手をしてるのが馬鹿らしくなりますよね。

真面目に考察してるのも馬鹿らしくなってきました。

とりあえず私は過去の嵐も変わり続ける嵐も好きです以上ですお疲れ様でした!!!

(着地点がわからなくなった)

 

わーいこんな事やってるうちにもう朝だよ今日も一日がんばるぞい!